著者: リチャード・M・ストールマン, Richard M. Stallman
出版日: 2003-05-06
出版社/メーカー: アスキー
カテゴリ: Book
RubyKaigi 2010でサイン入りのを買ったにもかかわらず、もったいなくて読めてませんでした。すみません。で、さすがに読まないのもあれなので、勇気を出して包装を解いてみました。ただ発刊は2003年なので、古い本ですね、もう。さんざん読まれたと思うので、「もういいよ」的な方はスルーしたってください。
フリーソフトウェア運動とGNU
実はフリーソフトウェア運動については詳しくは知らなかったので、リチャード・ストールマンがなぜGNUやFSFを立ち上げたのか。パブリックドメインやオープンソース運動とは何が違うのか。ソフトウェアにおける著作権や特許について、彼が何を考えているのかなどが、この本にはぎっしり詰まっています。いまどきのエンジニアなら、GNUやGPLに携わらないことはないはずなので、一度は読んで自分の考えをまとめておくべきだと感じました。
ただ元来ひねくれている私にとっては、彼の強烈な思想や主義主張はかなり「?」となる部分が多かったのも事実。
ソフトウェアの著作権や特許に、レシピや道路のアナロジーを使っている
例えばレシピ。「そのレシピ教えて!」と言うでしょ?と言うことなんですが、そういう意味では「仕様書」とかアルゴリズムとかがレシピに対応するんじゃないのかな?と疑問に思いました。「ソフトウェアは設計図でもある」のは確かにそうなんですが、レシピって実現方法であって、実装方法ではないと思うんですよね。
まあレシピは些細な例なんですが、古い概念のもののアナロジーで説明しようとしているので、そこに違和感を感じました。説明しやすくはなるんですが、デジタル情報というのは新しい概念なんだから、あまりアナログな物のアナロジーでは説得しきれないんじゃないかなと思った次第です。
「パンがなければケーキを」的な発送
昨今では情報技術系の職に多くの人々が就いているわけですが、私有(プロプライエタリ)ソフトウェアがなくなったときに、「仕事なんてなんとでもなるさ」と言い切れる人はむしろ優秀な人であって、大抵の人は失業して路頭に迷うことになるでしょう。自由である価値に重きを置くのはいいのですが、かと言って「ウェイターでもいいんじゃね」とは言いすぎではないでしょうかね。「サポートで食ってける」のは結局私有ソフトウェアを持ってるところだったりするんじゃないでしょうか。MySQL/Sun/Oracleを見てて、そんな気がしました。
自由はそんなに重要か
「自由であることが一番大事」ということなんですが、なんかそれって「こんな会社はダメだ。俺が作る」という話に近いものを感じたんですね。実際に起業する人ってそんなに多くないのと同じように、本当に自由を求めている人ってそんなに多いのかなとも思いました。多くの人々は、ちょっとぐらいに不自由と引換に、自分であれこれしなくても良い利点を享受しているわけです。例えば私の両親のコンピュータに使うOSややっぱりWindowsになります。全てがフリーソフトウェアになればそれも変わるかもしれませんが、今の時点での選択肢としては、自由が重要ではない時があります。場合によりけりじゃないかなと思うわけです。
だいたい歴史の多くで、民衆は自由よりも支配されることを望む傾向にあるんじゃないでしょうか。一部に自由を求めて戦う人々がいて、時として民衆はそれに呼応しますが、自ら先頭に立とうとはしません。戦う人々の下についているわけです。それは自由のための戦いではなく、自分の利益のためなのではないかと思うわけです。日本を見てても、主義主張を声高に叫ぶ人がいて、それなりに多いように見えますが、絶対数としては非常に少数でしょう。会社の中でもそうです。本当に自由が欲しいなら、起業するなりフリーランスになるなり、その制約から逃れようとするでしょう。でもほとんどの人は、そこには今までにない責務が発生するので、それよりは制約の中での利点を選ぶのではないでしょうか。企業戦士の多さから見ても、そんな感じですよね。
性善説と性悪説
もう一点気になったのが、「隣人と共有する」という点。みんながみんな良い方向に使うとは限らないので、法律で制限していると思っているので、「みんながそれぞれより良くなるように判断すればいいよね」というのには賛同しかねます。なんか性善説のようで。さらに私有ソフトウェアの企業はみんな悪であるように書かれているのも、なんだかなと思いました。まあフリーソフトウェアの精神からするとそうなのでしょうが、世の中みんながいい人ではないので法律があり刑罰があるのだと思うのですよね。そこのところがちょっと引っかかりました。
作る側の自由が乏しい気がする
そんな物ないよと言われればそれまでですが、自由なソフトウェアという割には「配布に関して制限をかける自由」は「みんなの利益を損なうから」ということで制限されてしまいます。本当に利益を損なうのか?と疑問に思いました、ここは。「フリーソフトウェアにすることによって損なわれる利益」に関しての洞察が結構適当な感じだったのが、公平な議論ではなかった感じです。ただ彼が「思想家」だとすれば、そういう主張になるのは当然ではあります。すんなりと納得はできませんが。
優秀な人であるがゆえに物事が簡単だと思えてしまう症候群
「フリーソフトウェアで生活できるよ!」とリチャード・ストールマンに言われても、「そんなの優秀だからだよ、フリーソフトウェアとか関係ないし」と思ってしまうわけです。実情がどうなのかはわかりませんが、凄いと思う人が言う「簡単だよ」ほど信憑性がないことはありません。まあ日本人的な発想かもしれませんが、そういう考えもあるということです。
まとめ
読んでいるだけでもこれだけ考えることが出てくるのは、主張している思想が今ではなく未来を見ているからかなと思います。ソフトウェアがどうあるべきかだけで軽く一晩議論できるぐらいは考察したかもしれません。エンジニアとして生きていく上で、とりあえず読んでおけと言うことで。
ちなみに私の立場的には、デジタル世代の著作権は旧来とは考え方そのものを改めないといけないと思っています。著作者人格権はそのままでもいいかもしれませんが、著作物の販売権をどう考えるか、複製についてどうすべきかを、何かのアナロジー以外で考えないといけないなというスタンスです。フリーソフトウェアは素晴らしい仕組みだと思うのですが、全てがフリーソフトウェアでなければならないとは思っていません。というか、そろそろ「ソフトウェアの販売」自体がなくなるかもしれないし。ウェブサービスへの課金とかね。もし議論とか話がしたいという方が入れば、勉強会とかでふっかけてください ;)
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