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2003年12月22日

[thesis] 真実を見つけ出す力

某所でも書いたのだが,やはりここでも書いておくことにする.

まずはこのサイト動画を見て欲しい.

我々は他人に対してある物事を要求したとき, やはりこちらが想像するような過程をたどり,想定しうる結果に結びつくと考える. そしてその想像を超えるような過程をたどろうとしたとき, 例えそれが想定を上回る結果を出すのだとしても, 通常はそれを止め,どうしてそうなったかを問いただし, そして「一般的に正しいと思う方向」へと導こうとするだろう. だが本当にそれが「正しい」ことなのだろうか.

少し誇張気味のようではあるが, このCMはそれを教えてくれているような気がする. 「正しい」という「認識」は,その人がたどってきた過程, つまり人生そのものに依存している. この「認識」はその人にとっては当然「正しい」ことだ. だが,異なる人生を送ってきた人にとっては,それは「間違ってる」ことなのかもしれない. いまの日本の教育体制とは,良い意味で「画一化」されているが, それはある意味「洗脳」といっても過言ではないのかもしれない. 日本中の先生や親が同じことを言い続ければ, 全ての子供はほぼ同じ意見を持ち,同じことを「正しい」と「認識」するようになるだろう. 我々自身もそういった「同じことを言われ続けてきた過程」 をたどってきたのかもしれないのだから, このことが「正しい」ことなのかどうか我々には出せない答えなのかもしれない.

だが誰の中にも「正しさの核」のようなものはあるはずだ. 誰に言われたのでもない,自分自身の「真実」というものが. いまの日本に必要なのは,そういった「真実」を見つけ出す力なのかもしれない.

Posted by Rust Stnard at 21:27